被告Y株式会社は、百貨店の営業を主たる業とする会社であり、X1らは、昭和37年4月から平成6年5月までY社の代表取締役社長、平成6年5月から平成12年4月までY社の代表取締役会長を、X2は、昭和63年5月、Y社の代表取締役副社長に就任し、平成元年3月から平成11年4月までY社の海外事業室の担当取締役を、X3は、平成元年5月から平成7年5月までY社の取締役であり、取締役在任中Y社の海外事業室の担当取締役を務めていた者である。
X1らY社の幹部は、駐日トルコ共和国大使からイスタンブール市への出店要請を受け、海外事業の一環として、イスタンブール市への百貨店の出店を検討することとなった。
X2は、平成2年4月、イスタンブール市を視察したが、その際日本でビルメンテナンス等を営む会社のトルコ現地法人P社に本件用地の取りまとめを依頼した。
Y社は、P社との間で「金銭消費貸借に関する契約書」を結び、Y社の関連法人Q社から、合計1500万米ドルの融資を行った(「本件第1貸付」)。
P社は、平成2年11月にAブロック用地(本件用地に含まれる3つのブロックのうちの一つ)の所有権を取得し、平成2年11月20日、同用地に権利者をQ社、極度額を500億トルコリラ(当時約2000万米ドル)とする根抵当権の設定登記をした。
その後、Y社は、P社からの要請に基づき、同社に対し、新たに1500万米ドルを融資することとし、同年12月12日、Q社から1500万米ドルを送金した(「本件第2貸付」)。
本件第2貸付に際し、同月13日付で、新たな契約書が起案されたが、これはP社側が署名せず、Aブロック用地の根抵当権の極度額の変更も行われなかった。
その直後、P社からY社に対し、用地買収につきコストが増加したため、買収総額が2000万米ドル増加すること、残余金が先に支払われなければ買収は困難であることの申し入れがあったがX1は増額を承諾しなかった。
Y社は、平成3年1月28日、X3名義の書面をもってP社社長に対し、本件計画については当面しばらく様子を見る旨の通知をした。
結局、Y社のトルコ出店事業計画は実現することなく、また本件貸付の担保となっていたAブロック用地も、Y社役員等の知らない間に第三者に譲渡されてしまっており、Y社に大きな損害をもたらした。
東京地方裁判所は、平成12年7月26日、Y社に対し、民事再生手続開始決定をした。
Y社は、同年10月5日、Xらに対し本件第1、第2貸付に関する損害賠償請求権の額の査定申立てを行い、再生裁判所は、同年12月8日、Xらの損害賠償債務は16億2570万円であるとの査定決定をした。
これに対してXらが異議の訴えを提起した。
異議審においては、本件第2貸付を中止するか、P社に対する確実な保全措置を執るべき義務があったかが争点となった(これら以外にも争われた問題があるが省略する)。 |