A株式会社は、B・X・Cの兄弟及びD・Eの計5名の共同事業として運営されていた同族株式会社であるが、簿外資産をもってF株式会社ら6社を設立した。
F社は、株式・資産の全てをG株式会社に譲渡し、その譲渡代金によってY株式会社が設立された。
Y社は、A社の100%子会社であり、不動産の保有によるA社の簿外資産の保全増殖を目的としたBら5名の共同事業の一部であったが、昭和36年、国税庁の査察を契機にBら5名の間でA社を中心とする共同事業関係を解消する旨の協定が成立した。
そして、Y社については、発行済株式総数1万8000株のうち、A社の取締役であったXにA社からY社株式7000株が配分される事となった(もっとも、Y社においては、これまで株券が発行されたことはない)。
ところが、協定成立後に、資産分配の遅延・Y社の名義上の取締役によるY社資産の勝手な名義変更・遠隔地の不動産の処理・新たな簿外預金の発見等による紛争がBら5名の間で発生した。
最終的に昭和39年8月、BがXに対して金員の支払を請求しない代わりに、XがY社に関する全ての権利を放棄する旨の合意がX・B間でなされた。
ところが、Xは、自らがY社の7000株を保有する株主であることを前提に、Y社の営業が完全に停頓していること、及び、株主X・B間の対立によってY社の業務執行が著しい難局に逢着していること等を理由にY社の解散判決を求める訴えを提起した。
原審判決は、A社は、Bら5名の共同事業であって実質が民法上の組合だから、前商法265条も204条2項・206条も適用されず、結局Y社株式7000株はA→X→Bと移転していることになってXはY社の株主ではなく、XにはY社の解散を求める原告適格がないとして訴えを却下した。
Xは上告した。 |