X株式会社は、関東一円を販売区域とするパン類の製造販売を営むトップメーカーである。
YはX社の設立以来その代表取締役の地位にあり、ワンマン社長として同社を取り仕切ってきた。
昭和38年9月、千葉県でパン類の製造販売を営んでいたA株式会社の株式のうち、25万8000株をYが、3万2000株をX社が取得し、翌年残りの株式をYの妻が取得した。
この際、YによるA社株式取得代金は全てX社からの借入によるものであった。
A社は、X社の千葉工場と商号を変更した上で、後にX社に吸収合併されたが、その間、Yは、X社傘下の販売店をA社に移管させる等の行為を行っていた。
他方、X社は、全国規模でのパン類の製造販売の展開を志し、関西地域をその目標地域の1つとして調査を行ってきた。
その中で、X社のメインバンクであるB銀行が、Yに対し大阪の土地の売却話を持ち込んできたため、社内や大株主の反対にもかかわらず、Yはこれを取得して関西に進出することを決意した。
大阪の土地はX社が購入したが、Yは、この土地を使い、自ら全額資本金を調達して大阪工場C株式会社を昭和41年に設立した。
C社の発行済株式総数9万株のうち、Yが5万株、Yが全株式を保有するD社が3万9200株を保有しており、YがC社の代表取締役であった。
D社は、X社の機械設備、X社からの借入及びX社の連帯保証の下での金融機関からの借入をもとにパン類の製造販売を展開するなど、実態においても外見においてもX社の完全子会社的存在だった。
YのX社等の代表取締役退任後の昭和51年5月、X社の監査役が同社を代表し、競業避止義務違反等を理由に損害賠償又はYらの保有していたA社株式について割り当てられたX社株式及びC社株式の引渡(又はそれに代わる填補賠償)を求めて提訴。 |